子どもを認める
2016 / 05 / 12 ( Thu )
今回は「子どもを認める」というテーマの記事を転載します。
bit掲載、第一回目より。

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一回目の今回は若草幼稚園では子どもたちにどうなってほしいと考えているのか、ということを書いておこうと思います。幼稚園でこうなってほしいと思っていることはたくさんあるのですが、そのうちのいくつかを書き出してみます。

「自己肯定できる子ども」
子どもというのはあるがままの姿でそこにいてもいい存在です。そのことをまず子どもたちにわかってもらうのですが、そのためにまず「そのままでいいよ」と伝え続け、受け止めることをします。子どもにそれが伝わり、「ここにいてもいいんだ」と子どもが納得すると安心してくれます。そして将来自分がそのままでいていいんだという自己肯定につながっていくのです。そして安心して園にいられるようになってくると情緒が安定し落ち着いて遊んだり園で生活をしたりできるようになってくるのです。

「自立した子ども」
そして安定した子どもたちが幼稚園で生活していくのですが、園における子どもの生活は遊びそのものだと考えているので、園の中には遊びがとにかくたくさん用意してあります。子どもたちはその日その日何をして遊びたいか何をして過ごしたいのか自分たちで選択(2つ3つしかないものの中から選ぶのは選択とはいいません)をしていくのです。そして何をしたくて何をしたくないのか、何が好きで何が嫌いなのか、毎日の生活を自分で選択し決めていく中でわかってもらいたいのです。それが自立につながっていきます。

「うまく折り合って生活していける」
子どもたちは全員が幼稚園に自由を持ってやってきます。園で生活していくうちにそれぞれの自由さがぶつかってトラブルになったりやりたいことができなかったりすることがあります。しかし、ある時は自分が折れたり、ある時はどうしても通したり、うまくやっていかないと園生活は成り立っていかないのです。その時々で折り合いをつけるため友だちと話し合ったり我慢をしたりするのです。園生活でそういった経験を繰り返しすることにより人間関係をうまく身につけていきます。

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流水元気
bit (松山のフリーペーパー)より
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満足感
2016 / 02 / 21 ( Sun )
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今日は「満足感」について以前bit(松山のフリーペーパー)に書いた記事を載せたいと思います。

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 子どもの中には満足感という感情があります。充分遊べたという感覚、自分の考えていることをうまく伝えられたという充実、そして伝えられた自分の考えを受け止めてもらえたという安心などからくる満ち足りた感情です。この満足感を得るということは子どもの成長にとってとても大事なことなのです。

 ある雨の日、幼稚園の玄関先で小さい組の男の子が園庭に出たいと保育者に訴えていました。保育者は雨の日は園舎の中で過ごすよう伝えていましたが、その子は外に出たいと言い張り、保育者との話は平行線でした。私は子ども用のポンチョを一つ用意し、その子に着せて行っておいでと送り出してみました。その子は雨に濡れた遊具や水たまり、草花などを一通り見て回り、5分ほどで帰ってきてポンチョを自分で脱ぎ、部屋で遊び始めたのでした。

 この子は自分の気持ちや主張、したいことを受け止めてもらった、聞き入れてもらえたということが満足感につながり短時間で帰ってきて、室内で遊び始められたのでしょう。こういうやり取りを繰り返すことにより子どもの中に自分の思いを受け止めてもらえているという信頼感や安心感が生まれます。その安心の元やりたいことは自由にやれるとわかっていれば、クラスの集まりなどやらなくてはならない時に自分のやりたいことを切り上げて後回しにできるのです。

 したいことを抑圧され、やらされてばかりいると満足感を満たすことができないのでこちらの言うことも聞かずいつまでもやりたいことをやりたいと言うようになったり、逆にどうせやりたいことを言ってもできないのだからと自分の気持ちや意見を表に出さずに押し殺してしまう子どもになってしまうこともあるのです。

 子どもたちは普通に生活している中で自由にわがままに振る舞っているように見えて実は我慢していることが多いのです。幼稚園で遊んでいてもお昼や帰る時間になれば中断され、お母さんがお迎えに来れば帰らなければならない、使いたいおもちゃがあっても先に使われていれば使えない、お母さんがこっちに行くと言えばついていくしかない、実に思い通りにならない物事の多いこと。でもそれは生活していれば当たり前に起こることです。だったら園での遊びの時くらいはやりたいことを声高にあげ、その気持ちを受け止めてあげられる環境を保障してあげたいと思っています。

副園長 流水元気
 bit (松山のフリーペーパー)より
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「安穏」 
2015 / 12 / 01 ( Tue )
今日は園長の最近の手記を載せます。

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「安穏」 若草幼稚園園長 流水龍也

 若草幼稚園では「安穏」(安心して、穏やかに)を一番大切な価値観として保育にあたっています。
 日本の子どもたちはいつも、必要以上に興奮状態にあるように感じています。
 元気な子どもがいい、元気な声がいい、大きな声で挨拶しましょう、子どもは風の子など、子どものテンションを上げようとする場面が多くみられます。子どももそうでないといけないと思ってしまい、元気な子どももも、テンションの高い子どもを演じているように見えます。大人も子どもは大きな声で話すもので、穏やかにそこにいることはできないと思っているようです。
 子どもは安心できると穏やかになります。ところが、ここ何十年かの子どもたちを取り巻く環境は、子どもたちに緊張を強いて安心できる状況ではないように感じます。
 子どもが安心できるのは、自分が自分のままで、あるがままにその場所にいられるかどうかです。園が子どもを自分のままでいられる場所かどうかを考える必要があると思います。
 子どもはいつも周りにいる大人の顔色を見ながら生きています。まず、そのことをしっかりわかってあげないといけません。子どもは小さいのです。子どもの身長は大人の半分くらいいかありません。ということは、もし大人が子どもなら、大人は3m近い大巨人です。それは怖いです。そのことを理解して、子どもに、顔色を見なくても大丈夫だよということをどう伝えていくかということです。

 本園は自分のすることは自分が決めることを大切にしている幼稚園です。子どもたちは毎日ほとんどの時間を自分のしたい遊びを見つけて過ごしています。弁当の時間と、帰る前の30分が集会の時間です。その時間に、絵本を読んで、歌を歌って、担任の話を聞いたりして過ごします。そんな生活の中で、自分で決める時間が大切な時間と考えています。この後の長い人生を生きていくうえで大事な資質になると思います。そのことは大人が決める生活の中では育ちません。自分で決める経験を積み重ねていくしかないのです。けれども、子どもたちは判断をたびたび間違えます。それはまだ経験が少ないのですから仕方のないことです
。間違いながら間違ったことを理解して、正しい判断を身につけていきます。その時に「いいよ、いいよ」「大丈夫だよ」「それでいいよ」と行ってあげれるかどうかです。ところが大人はそんな時にも”がんばれ・がんばれ”といいます。がんばれという言葉が大好きなようです。

 自己肯定という言葉があります。人が幸せに生きていくためには絶対必要な価値観です。がんばれという言葉は自己肯定とは全く逆の言葉です。「今のままではだめですよ」「もっと上に行きなさい」という言葉です。幼児期にがんばれの言葉はいりません。子どもたちは「今のままではいけない」「自分のままではいけない」と感じながら成長していきます。それでは安心感には繋がりません。がんばれとは言わないように心がけてください。
 幼児期は人間の根っこを作る時期だとほとんどの人が言います。根っことは「価値観」「感性」そして「自己肯定」です。
 ”安穏”という言葉は幼児教育の中でもすごい言葉です。安心して穏やかにを、いつも思いながら保育を楽しみましょう。

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浄土真宗本願寺派 保育連盟発行
「まことの保育」2015年11月号より
14 : 12 : 09 | コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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